ラベル ひすいいろ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル ひすいいろ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2015年5月4日月曜日

#068 ご

笹塚のカフェ、茶日が5周年を迎えた。
わたしのホームである代田橋CHUBBYの姉妹店(なんでこういうときに兄弟店って言わないんだろうね?)。
先日周年パーティーに行ってきた。

イタリアンシェフのサコちゃんの料理はほんとに美味しい。
CHUBBYのメニューとは違うから、たまに食べるととても新鮮!






美味しいご飯を食べながら、ゼロキチさんと樽木栄一郎さんの演奏に耳を傾ける。

ゼロキチさんは私のウクレレの先生で、たまに東京に来てワークショップをやってくれるときには毎回参加してる。
圧倒的に生活に音楽が足りない!と思った時にウクレレの楽しさを教えてくれました。
私はダメダメな怠惰な生徒だけど、ゼロ兄が東京来てくれるおかげで、今もウクレレ続けられてる。
ゼロ兄の軽妙な指さばきが、見ててとても気持ちいいんだよね。
こんな風に弾けたらかっこいいなぁって、いつも思う。



そして樽木さん。
なかなか機会がなくてYouTubeとかでしか聞いたことなくて、ちゃんと生音でガッツリ歌と演奏を聞いたのは今回が初めてだった。

あのね、凄かった。

最前列で1.5メートルの距離のかぶりつきで観てたんだけど、
しなやかで柔らかいけど強く芯のある歌声と音をズコーーーンと浴びて、鳥肌がたった。
たぶん口が開いてたと思う。



(PCからだと映像きちんと見れるんだけどスマホからだとサムネだけかも)


みんなに聞いたら、また茶日は土壁だから音が柔らかく反響してすごくいいらしい。
私、音楽オンチなので、そういうのあんまりわからないんだけど、でも確かにマイク無しの時の音を聞いた時も、音に包み込まれてるような感覚だったのはわかる。


茶日が5周年って、早いなぁ。
5年前のオープンの時も行ったけど、その時の私の無意識の行動が今でも笑い草になっていて、私の中では茶日のオープンと言えばソレ、ってなってる。

もう5年も前なんだと思うと懐かしくもあり、寂しくもあり、焦りもあり。

代田橋メインなので笹塚来る回数は決して多くはないけれど、でも思い出深い場所の一つ。
茶日の歴史は、意外と私の特殊な交友関係の歴史でもあるんだな。

茶日は5周年だったけど、代田橋CHUBBYは今年で10周年。
こちらも、心からお祝いさせてもらうつもり。

2015年2月27日金曜日

#065 福岡レポート 3日目


いよいよ、3日目。

今日は途中までおひとり様行動。

カラオケボックスでイスに座った仮眠の後は波葉の湯に再度向かう。

温泉に入ってすっきりするため!

前日のお遍路見届け巡りとその後の朝までコースでカラダはすっかりボロボロ(笑)

岩盤浴に入ってストレッチして足がつって苦しんだりしながら、

午後にcoffonのイベントに、Iさんに会いに向かう。




coffonは、代田橋のメンバーからよく聞いていたけれども、ずーーーっと行く機会がなくて今回お初。

決して広いお店ではないけれど、置いてあるものやお店の雰囲気は、ほんわりしていて、

Iさんの人柄が表れてるんだなって、しみじみ思った。

この日のイベントは、広く告知しているわけではなかったみたいだけれど、

常連さんが集まってきたり、東京からお客さんがサプライズで来たり、これも、Iさんと一緒にイベントをやってるKさんの人徳なんだろうな。

Tくんが、Iさんはみんなに好かれていて、お店に行ったらその人気が改めてわかるって教えてくれてたけれど、ほんとにそうだった。

特に嬉しかったのは、私が行ったらすぐ、暖かく迎え入れてくれて、他の常連さんに紹介してくれたこと。

一人だったし、アウェイな場所だったし、実はけっこう緊張してたんだけれど、みなさん受け入れていろいろ話をしてくれて、なんだかテンション高くなってしまったわたし。

うるさくしてごめんなさい(笑)

Iさんが、ナイスな紹介をしてくれたおかげ!

もっとゆっくりしてたかったなーって、思う。


他にも行くところがあったので、名残惜しい気持ちをおさえて、

これもTくんからよく聞いていたKrunkという家具屋さんに向かう。



お店の中で写真を撮る勇気は持ち合わせてなかったので、外の雰囲気だけ。

素敵な家具や照明があったけれど、衝動買いできるようなお値段ではありませんので目の保養だけして店を出る。


次に向かうは岩田屋というデパート。

実は、今回の旅で、もし行けたら行ってみたかったのが「鉄なべ」という餃子屋さん。

タイミングなくて行きそびれたけれど、いろいろ親切にしてくれた健吾さんの手土産として餃子を買おうと思って調べまくる。

鉄なべの直売所はあいにくこの日はお休みで。

冷凍ならば売っているということで、岩田屋で5分で買い物を済ませ、再び篠栗に向かう。


陶花であともう一回ご飯を食べたい!という食欲を満たす前に、もう一か所、立ち寄り。

実は、見届け人を務めたMくんと共に、無事にお遍路を周りきったAさんに、何かお遍路グッズを達成記念に渡そうという話をしていてね。

巡っている途中であった方が、お遍路パーカーを着てて、あんなオサレデザインのもあるんだね~って言ってたのでちょっと調べてみたらいろいろあった。

Tシャツなんて、48色もあるらしい!!!

観光協会に問い合わせて、現物があるお店を訪ねたら、「たまや」さんというお店を紹介してくれて。

陶花が閉まる前に、たまやさんに駆け込んでみた。

ご主人が、これまたいろいろと相談に乗ってくれまして。

パーカーやTシャツの他にも、サコッシュやトートバッグとか、いろいろあった。





ご主人と話しをしていたら、健吾さんはもちろんのこと、共通の知り合いの方もいるし、

Aさんのことすら知っている。

またもや、なんだか嬉しくなってしまった私。

この後、陶花に行くという話をしたら、ご主人も行くという。

雨も降っていたところ、一緒に車で行きましょうと、おっしゃってくださった。

なんだよう。篠栗の人って、ほんとにあったかいな。

そしてそこで初めて、名前を伺い、名前を名乗りまして。

「たまやのご主人と陶花行きます」と、すでに陶花にいたAさんに連絡をしたんだけど、

なぜ私がご主人と一緒にいるか、ピンとこなかったらしい(笑)

そりゃそうだよね。ここでまさか私がご主人と出会ってるなんて、知らないわけだから。

いや~、ハテナ顔のみんなを見るのが楽しかった。


陶花で2回目の食事をオーダーする。



たまやご主人の桐生さんもオススメの、「モツ煮定食」。 (であってるよな・・・)

茶色い料理大好物の私には、たまらない料理でした。

うんまかったー。健吾さんお嫁に欲しい。


Aさんに、無事にお遍路グッズ(結局Tシャツを買いました)を渡して、記念撮影。


お遍路Tシャツが完全に馴染んでる。

この蛇腹のご朱印帳も、すごいよね。

88カ所を巡った証。


そんなこんなで、わたしの滞在最後の夜は、AさんとTくんと、篠栗の飲み屋で締めくくる。

その名も「夢や」。

めちゃくちゃ雰囲気のある、いいお店だった!


お店の人は、みんな、蝶タイにベストみたいな服装で(ホールの人だけじゃなく、キッチンの人も)。

なんだか、昔ながらのサイフォン式の珈琲屋さんみたいな感じ。

店内は、時代家具が多くならんで、そこかしこに飴色の板張りや梁があって。

ジャズの調べが会話を邪魔しない音量で流れていて。

ご飯も美味しかった。

豆腐のグラタンとゴマサバが最高に美味しかった!

また食べたいな~。




しっぽりと3日目の夜を終え、翌朝私は東京へと帰っていったのでした。




徒然なるままに起こった出来事を議事録のごとく書き連ねてきたけれども、今回の福岡の旅で感じたこと。

1日目の日記の冒頭でも書いたけれど、今回の旅は完全に便乗だったし、1人行動も多くなる可能性も高いなと思っていた。

でも、Aさん、Tさんが福岡の人たちに紹介してくれて、そのおかげもあって(だと思ってるのだけど)
あたたかくおもてなしをしてくれたことが、とても嬉しかった。

よく感じることなのだけれど、ふらりと観光で旅をした時は、それなりにガイドブックや既にそこに行ったことがある人の話を聞いて、ここに行ってみようと思ったりする。

でも、その地の人と知り合うと、普通の観光旅行では得難い醍醐味を味わうことができる。

地元の人が行く店に行って、地元の人と会話して、少し、コミュニティの内側を覗かせてもらうことができる。

Aさんは福岡の人ではないけれど、福岡も何度か訪れているということもあって(あとそういう時運でもあったのだと思うけれど)今回お遍路をすることになって、まさかそこに立ち会うことになるとは思ってもみなかった。

これも、普通の観光旅行じゃ絶対に体験できなかったこと。


私目線で言えば、こんな感じで、とてもありがたく、うれしく、新鮮な旅になったのだけれども、一方で思うことはもう一つ。

便乗しちゃって申し訳なかったなと、思うのです。

Aさんも、Mくんも、Tくんも、自分たちの固有のつながりが福岡にはあるわけで、
何も東京でできることを敢えて福岡でしなくても、、、というのがあるだろうし、
逆に私が便乗することによって、みんなのペースを乱したのではないかなぁと。

なんだかんだ私が滞在した3泊ともみんなと飲んだりしていたので、もっと自ら別行動をするべきだったかも。

今回みんなに便乗して福岡入りするにはちと時期が早かったかなとも思ったり。

それが、少し心残り。

でも楽しかった。

でも心にしこりが。

でも嬉しかった。

でも申し訳ない。

複雑な気持ちです。


こっそりここで謝っておこう。

お邪魔してすみませんでした。。。


2015年2月8日日曜日

#059 ちょっと好きだと過去を偽りたくなる。本当に好きだと全部話したくなる。



近頃漫然と考えていること。


人は、食べものや飲みものを摂取して日々新しい細胞を作っていく。

人間は60兆個の細胞でできていて、新陳代謝によってすべての細胞は2か月で入れ替わるという。

一方で、人の固有な情報はDNAとして細胞に刻まれている。

人がその人でいられるのは、DNAのおかげである。


人と人との関わりって、これに似ていると思う。


小学生の時は、地元の友達との世界がすべてだった。

中学・高校は、私立に通ったせいもあって、住んでいる場所というよりは部活やクラスの仲間がすべてだった。

大学に入ったら、学校やバイト先の趣味や興味でつながる友達とつるんでいた。

社会人になって、仕事以外でも仲良くできる先輩や同期と遊ぶようになった。

一生に知り合う人間の数は数多いて、その時々の社会生活や住んでいる場所によって大きく影響を受ける。

10年前のアドレス帳から何の変化もない人なんて、いない。

だけど、10年前から変わらず残っている人もいるのは事実。

人との付き合いは、関係性を構築する中で研ぎ澄まされながら、新陳代謝とDNAの伝達を繰り返していくのだと思う。


30前に代田橋で一人暮らしを始めるようになった。

CHUBBYという地元のカフェに行くようになって、初めて”常連”というものになった。

夜遅くに帰ってきて、ひとりごはんでも気軽に行けるお店があれば、と通い始めたのだけれど、

そこで知り合う人たちがわりと同年代の人が多かったことや、

趣味興味や仕事も共通点があったせいもあって、

自分の生活の軸になっていった。

3年前に仕事の都合で代田橋からは引越してしまったけれど、いまだに頻繁に行っていて、

自分の生活の基盤の一部が代田橋にあることを再認識する。

30代は、CHUBBYを中心に代田橋から培われた人間関係に支えられてるなと思うわけなんです。


この先に劇的な生活の変化があるかどうかわからないけれど、

新陳代謝の頻度は少しずつ長いスパンになっていって(でも老化ともちょっと違う)

DNAに刻まれる情報が多くなってる、そんな気がしてる。


今の仕事は、波がありながらも忙しいときは本当に忙しくて、

人生80年だか知らないけどその半分を迎えようとしているのに

会社に3泊4日とかしている今日この頃で、

10年後にも同じ生活がしたいかというと、したくないなと思ってしまうわけで。

仕事は当然キツイこともたくさんあるけれど楽しいと思う局面ももちろんあるので、

誰か食べさせてくれる稼ぎのいい旦那さんと結婚して今すぐ仕事やめたいとか別に思わないけれど、

ワーク・ライフバランスがちょっと崩れているなとは感じるのです。

仕事におけるアウトプットが続く毎日ばかりだと

仕事以外の日々の生活から受けるインプットが少なくって

なんだか自分自身が枯渇していくような、そんな気分になったりする。

だから、代田橋に息抜きに行って、いろんな話をたくさんしたり、逆になんの話もしないことで、

自分というものを保っている気がしてる。


仕事が忙しいと、「ワーク」と「ライフ」の「ライフ」の方で時に孤独感や疎外感を感じて

自分の”居場所”がわからなくなることがある。

そんな時に、代田橋の友達たちに会うと、安堵する。

あと、社会人になってすぐの頃からもう15年以上可愛がってもらっている先輩たちと過ごす時間。

これが私に安心感を与えてくれる。

(もちろん、家族や、それ以外で知り合った人たちの中にもそういう人はいる。)



これからも、たくさんの出会いを重ね、多くの人と知り合いながら、人間関係の新陳代謝は行われていくのだろう。

でも、私のDNAに刻まれた人たちとの関係性は、これからもずっと大切にしていきたいし、更に育てていきたいなと思う。




2015年2月5日木曜日

#058 近すぎて見えなかったものも遠ざかる時初めてその形がよくわかる

今年に入って、いい出会いをした。

ほとんど成熟したと思っていた世界が、更に広がった。

頭がボカーーンっとやられたような衝撃もあって

とにかくとても楽しくて居心地よくて。

とても真面目なことを延々と議論したりバカ話に興じてみたり

この期間、連日遅くまで頭をフル回転させてたりして実は結構体力的にハードだったけど、

でも逃さずにはいられないって思った。

気づいたら、普段より多くのありがとうの言葉や笑顔が出ている自分もいて

なんだか驚いたし気恥ずかしかったし。



2週間足らずのこの時間が楽しすぎて、興味深すぎて、

自分でもびっくりするくらいにその後の日々は余韻に浸ってる。

得難い出会いをさせてもらったなぁと、思う。



ここ半年くらい、人間関係の作り方とか、人との距離の取り方など

いろいろ考える場面があって、自分なりに思うところがあった。

そんな中、この人は、良くも悪くも(悪いわけではないんだけど)一石を投じてくれた感じ。

静かな口調で説得力ある話をしてくれて更に確信を得ることもある一方で

自分の中で出していた結論めいたものがひっくり返されるようなこともあって

あぁ、この歳になってもこういう人と出会えるっていいものだなと。




ほんとにほんとに、天野さんは素敵なひとでした。

これから、またみんなで手をとりあって色々なことをするのが愉しみだな。






2014年5月23日金曜日

#052 Happiness only real when shared.

好きな映画の一つに『Into the Wild』というのがある。

金持ちの成績優秀な青年が人生の意味を求めて全てを捨てて荒野を放浪するという、

実話をもとに描かれた作品だ。

その中で青年はこの言葉を遺す。



”幸せは、人と共有して初めて現実のものとなる。”

くらいな意訳になるかな。



ここのところずっと忙しいのが続いていて、

雨の日のド深夜に薄暗い中一人で残業して

会社と家の往復(自転車5分or徒歩20分、つまりどこかに寄るような距離じゃない)して

「お帰り~」もない真っ暗な家で仮眠とシャワーと着替えだけに帰って

物理的にも精神的にもふと孤独感を覚えたり。



怒涛の毎日を送っていると、アウトプットばかりで自分が空っぽになっていくようで、

それがイヤで週末のうちせめて1日は休息するようにしてみてる。

1日中映画や海外ドラマ観て

ソファでのんびりウクレレ弾いて

焼きたてのパンにかぶりついて

お散歩して。

でも、もっといいのは

ゆっくりおしゃべりしながら何時間も飲んだり

釣り堀行ったり

昔懐かしの
ゲームをしたり

一緒にいたいなと思える人(たち)と時間を共有すること。



止まない雨はないとか、明けない夜はないとか、言う。

そりゃそうだ。

何がどうあっても、時間というものは冷酷に、優しく過ぎてゆく。

怒涛の毎日も、いつまでも続くものではない。

物事には終わりがあるのだから。



おとといのこと。

いつまで続くかとかなり苦しかった仕事の山場も一旦終わって、

残業終わりに上司のクマさんと先輩のキリンさんがお寿司に連れてってくれて、

お疲れさん、よく頑張った、最近おまえは成長してる、と労ってくれた。

クマさんもキリンさんも同じ仕事をしてるチームメンバーだけれども

普段、クマさんやキリンさんが、人を褒めることって(多分)ないから

その言葉は嬉しかった。

あぁ、やっぱり一人じゃなかった、見ててくれたんだなと。



些細なことでもいい。

一人の幸せももちろんあるけれど、共有できる幸せは一人の時の何倍にもなる。

今日の満足であり未来の活力である。

独りじゃないと知ることは、私には必要なことだ。













2013年10月21日月曜日

#046 虚構と実態

土台は大事。

どんなに見栄えが麗しくても、

どんなに立派なウワモノであっても、

根っこが脆いと、砂上の楼閣。









2013年6月4日火曜日

#036 徒然なる独白の世界

「努力する」って言葉が、

あんまり好きじゃない。

正確に言うと、

「努力する」ってわざわざ口に出すということが、

あんまり好きじゃない。

予めコミットすることで自分を鼓舞して追い込んでく人もいるだろう。

でも、私はそのタイプぢゃない。

黙ってやればいいんだ。




恋愛偏差値30のわたしに対して、

「外国人が合いそうだから、外国人と付き合ってみれば?」

という人が多い。

よく、いろんな意味でジャパン・スタンダードからは規格外と言われるし、

たぶん、それはあながち間違ってない気もする。

純粋培養のスタンダード日本人男性には、

なぜか威圧的というか畏れ多く思われて、なんとなく敬遠されやすいしね。

でもさ、こういうことを言ってくれる人って、大抵、海外生活経験のない人。

そこが引っかかって、素直に、そうだよねって、言えない。

「オレらみたいな日本男児にはアナタを飼い馴らすのは無理です」

今も続くか鎖国ニッポン。




一を聞いて十を知る。

気が利くことや、勘が良いことでもあるだろう。

一を聞いて、十を知るように推測するのは、職業病。

感覚を鋭くしないと、この仕事やっていけないと思ってるから。

でも、下手したら、表面だけサワサワと触って、全部を知った気になってるだけかも。

フルネームは知っていますか?

好きな色はなにいろですか?

好きな食べものはなんですか?

簡単な計算で答えが出るほど人は単純ぢゃない。




わたしは、するめ女だそうだ。

噛めば噛むほど味が出ると、ひとは言う。

一口で蕩けるチョコレートではないんだろう。

わからなくもない。

一口で味を知れるほど、単純で甘くない。




こないだの夕暮れがあまりにも美しすぎた。

毒々しいほどに。

薄く棚引く雲間の中で色が揺れる。

原始の色が、滲んで、溶けて、消えてゆく。

宇宙の始まりみたいだなって、思ったよ。

 















 




2012年12月28日金曜日

#025 とける

今日という日が終わる時と、明日という日が始まる時の境目が曖昧だ。

ちょうど、オレンジ色と藍色の境目が曖昧なように。





いつ寝ていつ起きたかスイッチも曖昧で

身体の中がグラデーションに侵されているかのようで

目で見て手で触って空気と身体の存在の違いを知るけれど

空気も粒子でできていて

身体も粒子でできていて

ミクロの世界ではそこの境目ってどうなってるんだろなと思うと

なんだか境界線がなくなって身体が空気に溶けてゆく気分。



人生の幕をひくときも、こんな感じなんだろうか。

融けるように土に還りたい。





6時38分、背中の古傷がまたズキズキ痛む。





身体の痛みも心の痛みも

溶けてなくなってしまえばいいのに










2012年12月5日水曜日

#024 ブラックチョコレート3

気に入ったものは気が済むまで試すという癖がある。


これは美味しい!と思ったメニューがあれば

その店では気が済むまで毎回そのメニューを頼む。

たまに違うものを頼んでも、やっぱりそのメニューに戻る。


これは気に入った!と思った服があれば

擦り切れたり穴があくまでその服はヘビーローテーションする。

場合によっては繕って修理してまで使いたおす。


この曲好きだ!と思えば

iTunesのレートは☆☆☆☆☆にして何十回でも聞きまくる。

流行や有名無名なんか、一切関係ない。



人間関係でも、その傾向がある。


友人でも、恋愛でも、一度自分が気に入ったと思ったら

気が済むまで、あるいはその関係に亀裂が入るまで、

お気に入りのポジションが変わることはない。


昔は、若気の至りで、お気に入りのあまり多少粘着質になったこともあるけど

さすがに今はそんなこともなくなった。

むしろ、お気に入りなのにも関わらずフラットな感じなので

相手に「お気に入り」と認識してもらえないこともちょくちょくある。


お気に入りだと声高に言うこともあるけれど

自分の胸の中におさめてるだけのこともあって

いくら気に入ってるからって

相手に対してその感情を押し付けたくないと思ってしまうから。



何事も、気に入ったものは気が済むまで堪能するのが、好きみたい。

そのかわり、お気に入りじゃなくなったときのクールな態度は

自分でもびっくりするくらい。

お気に入りを解除するときの葛藤は激しいけれども、

両方あわせて、生の自分だなと思う。




私には、天使の羽根をもいだらここに跡が残るだろうという場所に、

2か所、手術痕がある。


背中の左右両方にあるこの傷は、人に見せるのも恥ずかしいような醜い傷。

だから夏でもキャミソールなどは着ないように控えてた。

でも、自分の傷跡のほうがひどいよって

火傷ややんちゃの跡を見せてくれた人もいた。

傷跡をそっと指先で押さえてくれた人もいた。




昨日、この冬初めて、この背中の古傷が疼いた。


寒いからだけじゃないと、思った。

痛いのは、背中の傷だけじゃないような気がした。

甘くて、苦い思い出。





2012年4月12日木曜日

#013 蕭雨

いま、蕭々と雨が降っている。

たまった灰色の汚れをすすぎ落として新緑色へ。
淀んだ空気を洗い流して透明に。


あっという間に桜が咲く季節になった。

散った桜の花びらが川面を流れていくことを「花いかだ」と言うそうだ。
美しい言葉だね。


目で、耳で、鼻で、舌で、肌で、四季を感じる。
この、四季を愛でる感覚が好き。


ここに存在する私の体は数えられないくらいの数の原子の塊。
目の前にある景色のすべても原子の塊で
形あるものを埋める空気も原子で成り立っている。

私と、この世界にあるものは、すべて原子レベルでつながっている。
澄んだ空気とも、花いかだとも。



私はこの世の血であり肉。
世界の一部で、全部である。

無と有のはざまに身を溶かす。






2012年3月30日金曜日

#012 音の幸福



楽器って、楽しいウツワって書くんだよね

楽器って、音楽って、やっぱり心揺さぶるもの

2Cellos - "Smooth Criminal" by Michael Jackson





クロアチアのチェロ演奏者のデュオ。

見てわかると思うけど、これすごい。

演奏者のエネルギーとかフィーリングを感じ取れる演奏って
絶対あるよね


楽器弾けるのっていいなーやっぱり。

高校くらいまでずーっとクラシックのピアノやってて
実は高校は部活で吹奏楽やってたからチューバなんかも吹けて
そのあとアルトサックスの基礎を少し習ったりしてた

今はなぁんにもやってないけれど
また楽器やってもいいなーって気がしてきた

ピアノも弾き方忘れちゃったし
アルトサックスももうちょっとモノにするまで続ければよかった


学生時代にちょっとアメリカにいたとき、大学の寮に住んでたの
同じ寮に黒人の学生がいてね

この人は他の学生とは違って大人で物静かな人だったんだけど
背が高くていつもハンチングをかぶって銀ブチめがねをかけていて
革のコートを羽織っていることが多かったな

たまにフラリとリビングに入ってきて
置いてあるピアノの蓋をおもむろに開いて
さらりとジャズを弾いていくんだ

それがものすごくかっこよくて
涙が出てきちゃったんだよね

なんて曲なの?って聞いたら
適当に弾いてるだけ、指が勝手に動くんだって言ってた

もう15年も前のことだけれど
今でも鮮明に覚えてる

小さなころからピアノ習ったりして
多少なりとも演奏者というものに触れてきたつもりだったけれど
でも、音楽が体に染みついた人っているんだなぁって
初めて思った瞬間だった


音を生み出す人
音を操る人

心から、素敵だと思う

2012年3月15日木曜日

#010 proof of my life







ONではコミュニケーションデザインの仕事


アイディアを産み出すこと

人と違った見方をすること

価値を付け加えること

影響を与えること



OFFではモノ作り 


文章だったり、料理だったり

ちょっとした映像・グラフィックだったり、革小物だったり

手作業で何かを産み出す

自己満足でも構わない




なんでもいい

何かを創る意欲ってことが創造性だ




0から産み出す苦しみ

1を組み合わせて100や1000にする大変さ




それを乗り越えると達成感を味わえる










そしてカラッポになる










その無限ループ










カラッポの函を埋めるのは

刺激と好奇心、そして感情



函が満ちていけばそれを外に移し替える

それが表現するということ


創っては表す

創っては表す


それこそが

自分が生きてるという実感だ



==================================

Yesterday is History.

Tomorrow is a mystery.

And Today.....is a gift.

That's why we call it The Present.




2012年3月11日日曜日

#009 Slice of Myself



あたしが、ゆらりゆらり。







前に、フランス人に「Juliette Grecoに似てる」と言われた。

誰それ?と思って聞いたら、Miles Davisがフランスで大恋愛をしたシャンソン歌手らしい。

いいねいいね。

確かに、たれ目気味なところとか、鼻が低いところとか、目が離れ気味なところとか、
結構似てる。

Merci, Monsieur.










12月に引越しをしてね。
週末の休みを利用しながらちょっとずつ家の整理をしてる。


モノが多いせいもあるよ。片付くのに時間がかかるくらい。


でもそれだけじゃなくて、やっつけで「とりあえずここにしまっとこ」っていうのが
あんまり好きじゃないんだよね。
引越しした後の最初の片付けって肝心。


新しく必要なものもあるから、それを探したり作ってもらったり買ったり・・・
300本くらいあるDVDやVHSは床置きになってるから、それも片付けないとね~笑


とはいえ、LOUNGE6号室は、だいぶ居心地がよくなってきた。
わたし、自分の家、好き。


あとはダイニングテーブルの天板と、ソファーテーブルを作ってもらって。
ガスレンジもやっといいのを見つけた。
郵便ポストはおいおいで。
DVD&VHS&CDの置き場所は困ったちゃん。
オーブンもぜひ欲しいと思ってるけど、置き場所工夫しないとな。


あーー考えてるととても楽しい。











2012年2月17日金曜日

#005 500色の色えんぴつ






こんなの見たら
胸がドゥンッ!て鳴っちゃう


白い紙に色をのせていく
色の境目ってどこにあるんだろうね?

グラ
グラデ
グラデー
グラデーシ
グラデーショ
グラデーション



今のきもちはこんな感じ






















下のほうにいるのは、こんぐらがった黒テープみたいなやつ

タールみたいにベトベトしてたり
金たわしみたいにチクチクしてたり


でもね
桃色の、ほんわりした、綿菓子みたいな塊もあったり
お日さまみたいにぬくくて、寝そべった猫みたいのがいたり
朝露が光る、若葉のようなところもあったり




色をのせては消し塗っては消し
人のこころなんてうつろいやすいモノ


そのなかでも
変わらぬ色はあるのだろうか
褪せぬ色はあるのだろうか