2012年12月28日金曜日

#025 とける

今日という日が終わる時と、明日という日が始まる時の境目が曖昧だ。

ちょうど、オレンジ色と藍色の境目が曖昧なように。





いつ寝ていつ起きたかスイッチも曖昧で

身体の中がグラデーションに侵されているかのようで

目で見て手で触って空気と身体の存在の違いを知るけれど

空気も粒子でできていて

身体も粒子でできていて

ミクロの世界ではそこの境目ってどうなってるんだろなと思うと

なんだか境界線がなくなって身体が空気に溶けてゆく気分。



人生の幕をひくときも、こんな感じなんだろうか。

融けるように土に還りたい。





6時38分、背中の古傷がまたズキズキ痛む。





身体の痛みも心の痛みも

溶けてなくなってしまえばいいのに










2012年12月5日水曜日

#024 ブラックチョコレート3

気に入ったものは気が済むまで試すという癖がある。


これは美味しい!と思ったメニューがあれば

その店では気が済むまで毎回そのメニューを頼む。

たまに違うものを頼んでも、やっぱりそのメニューに戻る。


これは気に入った!と思った服があれば

擦り切れたり穴があくまでその服はヘビーローテーションする。

場合によっては繕って修理してまで使いたおす。


この曲好きだ!と思えば

iTunesのレートは☆☆☆☆☆にして何十回でも聞きまくる。

流行や有名無名なんか、一切関係ない。



人間関係でも、その傾向がある。


友人でも、恋愛でも、一度自分が気に入ったと思ったら

気が済むまで、あるいはその関係に亀裂が入るまで、

お気に入りのポジションが変わることはない。


昔は、若気の至りで、お気に入りのあまり多少粘着質になったこともあるけど

さすがに今はそんなこともなくなった。

むしろ、お気に入りなのにも関わらずフラットな感じなので

相手に「お気に入り」と認識してもらえないこともちょくちょくある。


お気に入りだと声高に言うこともあるけれど

自分の胸の中におさめてるだけのこともあって

いくら気に入ってるからって

相手に対してその感情を押し付けたくないと思ってしまうから。



何事も、気に入ったものは気が済むまで堪能するのが、好きみたい。

そのかわり、お気に入りじゃなくなったときのクールな態度は

自分でもびっくりするくらい。

お気に入りを解除するときの葛藤は激しいけれども、

両方あわせて、生の自分だなと思う。




私には、天使の羽根をもいだらここに跡が残るだろうという場所に、

2か所、手術痕がある。


背中の左右両方にあるこの傷は、人に見せるのも恥ずかしいような醜い傷。

だから夏でもキャミソールなどは着ないように控えてた。

でも、自分の傷跡のほうがひどいよって

火傷ややんちゃの跡を見せてくれた人もいた。

傷跡をそっと指先で押さえてくれた人もいた。




昨日、この冬初めて、この背中の古傷が疼いた。


寒いからだけじゃないと、思った。

痛いのは、背中の傷だけじゃないような気がした。

甘くて、苦い思い出。





2012年12月2日日曜日

#023 幸せのおすそ分け

友達が、また写真展を開くらしい。

普通じゃありえないシチュエーションで、ユニークな写真を撮ってる。

ウチを撮影場所に使いたいかも、みたいなこと言ってたけど、

どうなるんだろうな。

アイディア聞いたら、やっぱりユニークで面白かった。

見てみたいものだわ。




沖縄料理店を2店舗やってる男友達とカフェでチーフシェフをやってる女友達が、

晴れて夫婦になった。

すごく似合いの二人で、地に足のついた恋愛を経て、結ばれた。

これからより多くの幸せを紡いでほしいと心から思うし、

きっと彼らはそれができると思う。


私の好きな言葉がある。

"Happiness only real when shared."
(「幸福は人と分かち合えてこそ本当のものとなる」と意訳してる)

彼らを見てると、本当の幸せを手に入れたんだなぁと思って、

見ている私も幸せになった。

幸せのおすそ分けありがとう。



お祝いの場から帰宅する途中、自分のことをふと省みた。

誰かと幸せを分かち合えているだろうか。

誰かに幸せをおすそ分けできるんだろうか。





自分の不甲斐なさが情けない。

胸の奥のもやもやは、今も晴れない。





でも、二人の幸せな姿を瞼の裏に思い返して、

あったかい気持ちに切り替える。


そんな日曜。



さて、仕事に戻ろう