近頃漫然と考えていること。
人は、食べものや飲みものを摂取して日々新しい細胞を作っていく。
人間は60兆個の細胞でできていて、新陳代謝によってすべての細胞は2か月で入れ替わるという。
一方で、人の固有な情報はDNAとして細胞に刻まれている。
人がその人でいられるのは、DNAのおかげである。
人と人との関わりって、これに似ていると思う。
小学生の時は、地元の友達との世界がすべてだった。
中学・高校は、私立に通ったせいもあって、住んでいる場所というよりは部活やクラスの仲間がすべてだった。
大学に入ったら、学校やバイト先の趣味や興味でつながる友達とつるんでいた。
社会人になって、仕事以外でも仲良くできる先輩や同期と遊ぶようになった。
一生に知り合う人間の数は数多いて、その時々の社会生活や住んでいる場所によって大きく影響を受ける。
10年前のアドレス帳から何の変化もない人なんて、いない。
だけど、10年前から変わらず残っている人もいるのは事実。
人との付き合いは、関係性を構築する中で研ぎ澄まされながら、新陳代謝とDNAの伝達を繰り返していくのだと思う。
30前に代田橋で一人暮らしを始めるようになった。
CHUBBYという地元のカフェに行くようになって、初めて”常連”というものになった。
夜遅くに帰ってきて、ひとりごはんでも気軽に行けるお店があれば、と通い始めたのだけれど、
そこで知り合う人たちがわりと同年代の人が多かったことや、
趣味興味や仕事も共通点があったせいもあって、
自分の生活の軸になっていった。
3年前に仕事の都合で代田橋からは引越してしまったけれど、いまだに頻繁に行っていて、
自分の生活の基盤の一部が代田橋にあることを再認識する。
30代は、CHUBBYを中心に代田橋から培われた人間関係に支えられてるなと思うわけなんです。
この先に劇的な生活の変化があるかどうかわからないけれど、
新陳代謝の頻度は少しずつ長いスパンになっていって(でも老化ともちょっと違う)
DNAに刻まれる情報が多くなってる、そんな気がしてる。
今の仕事は、波がありながらも忙しいときは本当に忙しくて、
人生80年だか知らないけどその半分を迎えようとしているのに
会社に3泊4日とかしている今日この頃で、
10年後にも同じ生活がしたいかというと、したくないなと思ってしまうわけで。
仕事は当然キツイこともたくさんあるけれど楽しいと思う局面ももちろんあるので、
誰か食べさせてくれる稼ぎのいい旦那さんと結婚して今すぐ仕事やめたいとか別に思わないけれど、
ワーク・ライフバランスがちょっと崩れているなとは感じるのです。
仕事におけるアウトプットが続く毎日ばかりだと
仕事以外の日々の生活から受けるインプットが少なくって
なんだか自分自身が枯渇していくような、そんな気分になったりする。
だから、代田橋に息抜きに行って、いろんな話をたくさんしたり、逆になんの話もしないことで、
自分というものを保っている気がしてる。
仕事が忙しいと、「ワーク」と「ライフ」の「ライフ」の方で時に孤独感や疎外感を感じて
自分の”居場所”がわからなくなることがある。
そんな時に、代田橋の友達たちに会うと、安堵する。
あと、社会人になってすぐの頃からもう15年以上可愛がってもらっている先輩たちと過ごす時間。
これが私に安心感を与えてくれる。
(もちろん、家族や、それ以外で知り合った人たちの中にもそういう人はいる。)
これからも、たくさんの出会いを重ね、多くの人と知り合いながら、人間関係の新陳代謝は行われていくのだろう。
でも、私のDNAに刻まれた人たちとの関係性は、これからもずっと大切にしていきたいし、更に育てていきたいなと思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿